2017年2月4日土曜日

事故の現場ルポ・人食いワニの正体4

事故概要

2017118日カカドゥ国立公園内で、イリエワニによる人身事故が発生。ノーザンテリトリーでは20148月以来の死亡事故となった。

事故の現場となった川の渡し場。連日の大雨で増水していた。川に押し流されひっくり返ってしまった4輪駆動車のタイヤの一部が中央部にうっすら見える。

死亡したのは47歳・男性、警察発表ではひかえられていたが地元のアボリジニであった。当日午後4時ごろ、この男性の妻を含む二人の女性とイースト・アリゲーター・リバーの渡し場を徒歩で渡ろうとしたところ、女性たちの数歩後を歩いていた男性が行方不明となった。このとき渡し場は、雨季による連日の大雨で水深0.7メートルの濁流が流れていた。流れがかなり強いため男性は当初川に流されたのかと思われたが、後日の警察による検死により死因はワニによる外傷のためと発表された。
事故発生の二日後の現場捜索で目撃されたイリエワニ。4メートル前後の大型個体。急流の中から一瞬だけ姿を見せすぐに濁流の中へ消えてしまった。

 男性を襲ったとされるワニは、目撃したレンジャーによると全長約3.3メートルのイリエワニで、事故当日、男性が消えた渡し場から約3キロほど下流で男性の遺体をまだ口にくわえたままの状態で発見された。午後7時ごろ、現地のレンジャーが操縦する船上から警察がワニに向けて発砲。ワニは即座に遺体を放し濁流の中に消えていった。撃った警官によるとワニはおそらく死亡したものと思われるが、その後3日間続いた捜索でもワニの死体が確認されることはなかった。回収された男性の遺体には同じワニによるものと思われる噛み傷が多数あり、肩から先の右腕が欠損していた。
捜索中に目撃された3メートル前後の中型のイリエワニ。事故現場付近では通常通り、大小さまざまなワニが生息していた。

 事故現場

イースト・アリゲーター・リバーはオーストラリアでも有数の多数の大型のイリエワニが生息している川で、世界遺産でもあるカカドゥ国立公園と広大なアボリジニの居住区であるアーネムランドの境目を流れている。事故現場となった川の渡し場は季節や潮の影響で水深が大きく変わり、また多数のワニがいるので4輪駆動の車での渡河が通常である。非先住民以外は基本的に立ち入り禁止であり、広大な陸の孤島と化しているアーネムランドから出入りするにはこの渡し場を使う必要があり、先住民の地元住民たちは日常的に使用している。ワニによる危険注意の看板も行政により多数設置してあるにも関わらず、徒歩で立ち入る人が後を絶たない。また、現地は釣りの絶好のポイントとしても知られているため、先住民・非先住民を問わず常に釣り人の姿を確認できる。事故現場の写真は以前の記事にも多数あるので参考にされたい。
事故当時は渡し場のコンクリート上0.7メートルだった水深も二日後には2メートルに増水していた。4輪駆動の大型車両でも急流に流されてしまったりとこの川では普段から事故が絶えない。

事故発生から約3時間後、被害者の遺体をくわえたワニが発見された場所。渡し場から3キロ余りの下流。何も見えない濁流の中に多数のワニが生息している。

 なぜ事故は起きたか?


今回の事故の原因は言うまでもなく、被害者たちが川に徒歩で立ち入ったためである。事故当日も多数の車が渡河していたが事故は何も起きていない。では、なぜ彼らは車を使わなかったのか?一つの重要な答えは、事故当日、被害者を含む3名は酩酊していたということにある。彼らはカカドゥ内の街で飲酒した後、自宅のあるアーネムランドに戻る途中に事故にあった。飲酒をしていれば当然、車の運転はできない。カカドゥからアーネムランド内の最寄りの集落まで徒歩なら2時間はかかる。酷暑の中、舗装もされていない道を長時間歩くのは並大抵のことではない。それでもそんなことを日常的にやっている人たちが少なからずいると言われている。なぜか?アーネムランドでは飲酒が一切できないためである。彼ら自身が選択した法律により先住民の土地ではアルコールの持ち込みが禁止されている。ゆえにそこに住む人たちは先住民の居住区外まで出かけて酒を飲むのである。今回の事故が起きるまでに至った要因はいくつかあるが、そのほとんどが、土地所有権など政治的な理由により渡し場に橋を架けられない現状、渡し場に徒歩で立ち入り続ける地元民、命の危険までも顧みないアルコールの問題など人間社会の問題である。野生動物は野生動物としての行動を続けるだけだが、人間側がこれらの問題の一つでも解消できればこういった事故は大きく減らせるのではないだろうか。
事故が起きた1月はイリエワニの繁殖期にあたる。事故現場の付近にもここ数日で作られたと思われる巣をいくつか見つけた。通常メスに守られたこの巣の中には40~50個の卵が温められている。

2015年12月14日月曜日

三毛別羆事件

ちょうど百年前の1915年12月、北海道の苫前三毛別でエゾヒグマにより10名が死傷されるという事件が起きた。後にこのクマによるケガの後遺症がもとで死亡した乳幼児と事件当時殺された妊婦のお腹にいた胎児を含めると8名が死亡という凄惨なものである。
 
元々この事件には興味があったので、少々の下調べの後に2013年10月末に現地を訪れてみた。 札幌からバスに乗り数時間、日本海側の留萌を通り苫前町に到着。バスを降りたところで運よく偶然に乗り合わせていた町長さんに声をかけていただき、目当ての一つであった苫前町郷土資料館に案内してもらう。
 
 
この資料館は三毛別羆事件の資料もさることながら、当地の動植物や歴史に関する展示なども豊富で小さな博物館と言っても差し支えないくらいすばらしいものであった。毎年11月から4月までは冬季休館なので注意したい。

 














町長さんから苫前町の教育長さんを紹介していただき、三毛別羆事件の現場に行きたい旨を伝えるとちょうど資料写真を撮りに行くとのことで同行させてもらえた。なお資料館から事件現場へは車で30分ほどの山の中であり、公共の交通手段もないので本来なら車やバイクがないと行くのは難しいようだ。
 
現場へと続く道の両側には畑が広がり山に挟まれている格好で、どんどん人家がなくなってゆく。最後はうっそうとした山中の舗装されていない沢沿いの道をすこし進んで事件の現場に到着した。苫前を含めた北海道の日本海側は比較的ヒグマが少ない地域であるが、事件現場は生い茂るクマザサとうっそうとした木々が広がりいつクマが出てきてもおかしくないような雰囲気であった。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三毛別羆事件現場を示す碑。三毛別羆事件跡地と書かれている。
  
事故の概要が書かれた看板。右下にある注意書きが今でもクマが出ることを想起させる。苫前町でも毎年数頭、農業被害を出すヒグマが駆除されているとのこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ネットでも有名な当時を再現した家とそれを襲うクマ。
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
事故を起こしたヒグマは体長2.7m、体重340キロ(380キロ説もあり)の7~8歳オスの個体であったと伝えられている。町役場の方いわくこの再現グマはそれよりだいぶ大きいとのこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

事故の起きた実際の場所は再現地の前を流れる小川を隔てた林の中とのこと。沢沿いに民家が数件離れて並んでいた。もともとこの集落は政府が開墾目的で入植させたもので、住民はわずかに切り開いた畑で大豆などを育てていたという。事件後、この集落には農家一戸を残して人が住まなくなり、戦後に関西からの移住者が少し住んだだけで、現在でも付近の畑は通い農でありここに住んでいる人はいないとのこと。
  

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

現場近くの三渓神社内にある被害者の慰霊碑。この時のケガがもとで事件の4年後に亡くなった乳幼児はカウントされていないようだ。施主である大川春義さんは事件当時7歳で、この事故をきっかけに後に苫前町でハンターとなりヒグマ100頭を撃ったという。百頭目を撃った昭和52年にこの碑を建てたとのこと。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
再度資料館に戻り、展示物を見ながら館員の方から話を聞く。事故を起こしたクマは三毛別で8名を死亡させているが、事故発生の前にすでに他の地域で複数名(いずれも女性)を襲って食害していたと言われる。三毛別での犠牲者もすべて女性か子供である。
   
 当時この事件を伝えた新聞の写し。日付がちょうど100年前の大正4年(1915年)12月14日となっている。事故を起こしたヒグマが射殺されたのはこの日の午前中であったが、まだこの報は伝わっていなかったと思われる。記事内では羽幌警察分署・署長の活躍が伝えられているが、実際にクマを仕留めたのは近隣に住む猟師であった。
 

三毛別事件のクマを仕留めた山本兵吉。クマ撃ちの経験が豊富で近隣でも知られた猟師だったという。幕末の安政5年(1858年)生まれで、事件当時は57歳であったがのちに92歳まで生きた。事件の3年前に撮られたというこの写真に写る山本氏の膝上には子グマが乗っている。猟で愛用していた銃は日露戦争での戦利品だったとのこと。なお小説やドラマなどでは酒好きの無頼漢として描かれるこの人物は、家族の話によると実際には酒好きではあるが、面倒見もよくやさしい人柄だったという。
 
 

資料館内には当地で捕らえられたというヒグマの剥製がたくさん展示してある。中でも大川春義氏のご子息が1980年に羽幌町で仕留めたという巨グマの北海太郎は、体重500キロというから三毛別事件のクマよりさらにずっと大きい。ちなみにネット上で出回っている三毛別事件のクマと言われる白黒写真はデマである。木村盛武さんの調査によると、事件のクマの写真はもちろん毛皮や頭骨さえも残っていないとのこと。
 
なおこの事件は羆嵐として小説になっているが、資料としては木村盛武による「慟哭の谷」の方がより詳しい。氏は謎の多かった当事件を数年かけて調べ上げ、事件に巻き込まれた当事者への聞き取りや現場での検証をしている。この本は1965年に旭川営林局誌内で木村氏が発表し、1980年にヒグマNo.10別冊(のぼりべつクマ牧場)に再掲したレポートを元に書かれている。この報告書は一般書店には出回っていないが、「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」として苫前の資料館で購入できる。ちなみに今回案内してくれた町役場や資料館の方々は代々苫前に住んでいる地元の方で、当時聞き取り調査に訪れた木村氏や事件ゆかりの諸事をよく覚えておられて貴重な話をたくさん聞くことができた。

 














最後に、「クマと人の不幸な事故の99パーセントは人間側に責任があのかもしれない」という木村盛武さんの言葉(リンク先記事参照 http://hon.bunshun.jp/articles/-/3575)を記しておきたい。これはワニによる人身事故にもあてはまる。人食いグマや人食いワニは決して恐怖のバケモノではない。クマはクマとして、ワニはワニとしての行動をしているだけのただの野生動物である。それを人食いのモンスターとしてしまうかどうかはヒトが彼らの住む領域で適切な行動をとれるかにかかっている。 今回の事故でいえば、被害者や巻き込まれた方々は与えられた厳しい境遇の中で懸命に生きていた開拓民であり、個々人に直接の落ち度はなかったかもしれない。ただ、今回案内してくれた地元の方の「当時、そもそも人が簡単に住めるような土地ではなかった」、「そんなところに人を入れた(入植させた)お上がおかしい」という言葉に事件の必然性が隠れさているように思う。


なお、突然海外からクマを見に来たなどと言う自分のような不審な者にも色々と親切にしてくださった苫前町の方々に厚くお礼申し上げます。苫前はヒグマだけではなく、さまざまな野生動物が暮らす自然豊かでとても美しいところでした。興味のある方はぜひ現地へ訪れてみてください。郷土資料館は特におすすめ。
 
 


2015年11月9日月曜日

人を襲った動物は殺すべきか?

人身事故を起こしたワニの記事を読んだ方から、事故の原因は人間側にあるのにワニが撃たれるのは腑に落ちないという声をいただいた。もっともだと思う。以下は僕の返事コメント。

人を襲った動物は豪やワニに限らず、日本や北米のクマ、インドのトラなど殺処分されてしまう場合がほとんどです。理由は遺体の回収や他者の安全の確保など色々ありますが、単に人間を殺した動物をそのまま生かすことに抵抗があるというのもあると思います。理不尽な話ですが…
— 福田雄介 (@GingaCrocodylus) 2015, 11月 8

事実、人を襲った動物への対処は毎回事故が起きるたびに各国で議論になっている。以下は今年北米で起きた人身事故を起こしたクマの殺処分をめぐっての議論を紹介したツイート。興味のある方はぜひナショナルジオグラフィックの元記事も読んでほしい。


オーストラリアのワニの場合もほとんどが殺処分にされるが、わずかながら例外もある。

過去数十件起きた死亡事故でも、人を襲ったワニが殺処分を免れた例はごく少数ながらある。そのうちの一つは記事中のクマのように、一回殺処分を免れたにもかかわらず再び人を襲って殺してしまった。しかし、このワニはその事故が起きた土地に住む先住民からの嘆願により殺処分を再度免れている。
— 福田雄介(@GingaCrocodylus) 2015, 8月 25

もう一つ殺処分を免れたケースでは、ワニの数が多すぎてどの個体が襲ったのかわからなかったからというのもある。まさかそこにいるワニをすべて殺すわけにはいかないのでこの件では1頭も殺処分にはならなかった。しかしこれは非常にめずらしいケースでほとんどの場合は個体がすぐに特定され処分される
— 福田雄介(@GingaCrocodylus) 2015, 8月 25

上ですでに述べられているが、人身事故を起こしたワニを殺処分にするのには一応以下のような理由がある。

人を襲ったワニを殺処分する一番の理由は公共の安全管理のためだが、実はそれ以上に被害者の遺体を回収したいという事情もある。実際の事故では約半数は被害者は溺死させられるだけでワニには食べられないのだが、それ以外のケースだとワニの胃から遺体を回収しなければならない。
— 福田雄介(@GingaCrocodylus) 2015, 8月 25


特に他者の今後の安全のためというのはとても重要で、どんな場合でもたいがい第一優先される。では、よく言われる「一度人を襲った動物は味をしめてまた襲う」というのはワニには当てはまるのだろうか?


人を一度襲った個体は人間への恐怖心が薄れまた襲いやすくなるというのはあるかもしれないが、ワニは基本どんな場合でもチャンスさえあれば人を襲う。なので、ワニの場合は事故を起こした個体を殺しても他のワニがいる限り、安全の確保にはあまり意味がないと言える。人間側の感情的なものを除くのならば、遺体の回収以外に殺処分をするもっともな理由はなくなる。特に現場で遺体が完全な形ですぐに発見された場合の捕殺は今後減っていくべきかもしれない。

これはもちろん当地のワニに限っての話で、他国や他の動物に関してはまったく違った議論や結論が出てくることと思う。またそうあるべきだと思う。

2015年11月4日水曜日

事故の現場ルポ・人食いワニの正体3

マリー・リバー (死亡事故 2013年)

マリー・リバーはダーウィンから東へ100キロ余り行ったところにある大型河川で、河口から上流までイリエワニが多く生息している。雨の全く降らない乾季には、上流域は干上がり水の流れは分断されいくつもの大きな淡水湖となる。国道が走る橋のそばには民間のキャンプ場があり、それほど人出は多くないものの週末に釣りやキャンプを楽しむ人たちが訪れる。
 
 
事故現場のすぐそばの公共の船着き場に立つ「ワニ注意」の看板。釣りに関する注意書きとともに、遊泳禁止のマークが掲げられている。これが守られていれば、今回の事故も起きていなかったであろう。
 
 
 2013年8月、この河のキャンプ場で若者数人が週末泊まり込みでパーティーをしていた。仲間の一人の誕生日を祝う集まりであったという。お酒も入り、大いに盛り上がっていたのであろうか、若者の一人が度胸試しとして川で泳ごうと言い出した。ほとんどが地元に住む人間だったので、川に多数のワニがいることはもちろん知っていた。しかし、仲間たちはおもしろがり、さらにもう一人、度胸試しに参加するようはやし立てた。26歳になる被害者は気が向かなかったが、仲間たちから煽られ仕方なくもう一人の友人とともに川に飛び込んだ。その度胸試しと言うのは川の向こう岸まで泳いで帰ってくるというものだった。下の写真は現場となった河だが、水は緑色に濁り、ワニがいることを別にしても自分は泳ごうという気にはとてもならない。
 
 
 
仲間たちにはやし立てられる中、二人ともなんとか無事に向こう岸へ泳ぎつく。度胸試しを言い出した若者はそのまま折り返しこちら岸に戻ってきた。少し遅れて泳いでいた二人目の青年は突然の悲鳴とともにその姿を水中に消した。波打つ水面から巨大なワニの姿が見えたという。陸の上から見ていた仲間たちは悲鳴を上げパニックになったが、何人かがすぐにキャンプ場の従業員の所へ走り、即座に警察に通報された。数時間後には警察とレンジャーによる捜索が開始された。この水域には大型のワニが多数生息していたが、どの個体が被害者を襲ったのか特定できなかったため、ある程度以上の大きさの疑わしい個体は全て射殺された。3メートル以上の個体が合計6頭射殺され、すべてその場で開腹されたが、遺体はどのワニからも出てこなかった。遺体の捜索は夜間も続けられたが、ついにその日に見つかることはなかった。

翌早朝、遺体はおそらく水底に沈んでいるのでないかと推測した警察は、水を吸い上げる大型のポンプを投入した。ポンプにより水はかき回され、さまざまなものが水底から浮き上がってきた。そして、思惑通り被害者の遺体も一緒に浮かび上がってきた。遺体は足に噛みつかれた跡があるだけでほぼ無傷であった。歯型から襲ったのは射殺されたうちの4.7mの大型個体であると推定された。泳いでいるときに下から足に噛みつかれそのまま水中に引きづりこまれて溺死したものと思われる。写真のワニは同じマリー・リバーの河口近くで観察された4メートルを超える大型個体であるが、被害者を襲ったワニはこの写真のよりさらにもう少し大きいと思われる。

後日談として、実はこのとき射殺されたあるワニの胃袋から、犬の首輪と思われるものが見つかっている。さらにこの首輪には飼い主と思われる連絡先が書かれていた。警察とレンジャーが連絡したところ、たしかにその人の飼い犬であったようだ。飼い主いわく、少し前に犬を連れてマリー・リバーに遊びに行ったところ、その犬が行方不明になってしまっていたとのこと。残念ながら、そのときに水辺に入ったか何かしてその犬はそのワニに捕食されてしまったものと思われる。

事故の現場ルポ・人食いワニの正体2

アデレード・リバー(死亡事故2014年)
 
アデレード・リバーは州都ダーウィンから70キロあまり東に行ったところにある大型河川で多くのイリエワニが生息している。そのアクセスの良さゆえに多くの釣り人や観光客が訪れるレジャースポットとなっている。1940年代から30年近く続いた乱獲期にはアデレード・リバーのイリエワニが一番多く狩られたと言われる。現在では法の保護から40年以上がたちその数も回復し、州内有数の繁殖地ともなっている。下の写真は2015年にアデレード・リバーで観察された中型のイリエワニ。
 
 
 
アデレード・リバーでは古くから観光の目玉としてイリエワニの餌付けが行われている。世界中から集まる観光客を船に乗せ、船上から肉を紐で垂らしワニに飛びつかせるもので、ジャンピング・クロックとして知られている。本来なら違法なはずの野生のワニの餌付けが許されている唯一の場所であり、現在複数の業者がこの河にひしめき合っている。
 
 
船上から係員が餌を垂らすと野生のワニがすかさず寄ってくる。
 
 
 
ワニが餌に飛びつこうとする瞬間に紐を引き上げてワニを水中からジャンプさせる。4メートルを超える大型の個体も観覧船の目の前でジャンプすることがあり、その迫力に観光客は驚きの声を上げる。
 
 
この河で2014年の8月に釣り人がイリエワニに襲われる事故が起きた。アデレード・リバーでは初の死亡事故であった。現場はこの河を横切る国道のすぐわきで、車通りが非常に多い。現場へと続く一本道の入り口には、事故後に行政により立てられたワニに注意の看板が目に入る。今回の事故の教訓を生かして「水に入るな」と書かれている。
 
 
荒れたでこぼこ道を進むとすぐに川岸にたどり着く。燃やされた車の残骸はおそらく放置された盗難車であろう。地元民たちが今でも釣りに訪れるらしく、あたりに空き瓶などのゴミなどが散らばっていた。自分が訪れた時も近くに住むと思われる東南アジア系の男たちが泥ガニを採りに来ていた。
 
 
事故現場。ここで今回の被害者であるベトナム人男性は同じくベトナムからの移民である妻とともに岸から手投げで釣りをしていた。事故当時、現場は引き潮で川岸ではぬかるんだ泥が一面に露出していた。夕暮れになりそろそろ引き上げようとしていた時、被害者は服を脱いで川に足を踏み入れた。その数時間前に被害者の妻が根がかりさせてしまった釣り針を他の釣り人の邪魔にならないようわざわざほどきに行ったとのことである。その瞬間、そばにいたと思われる大型のイリエワニに襲われた。車に荷物を積み込んでいた妻は、被害者の断末魔の叫びを聞きつけ駆けつけるが、その時にはもう男性の姿は消えていた。被害者は浅瀬で手に噛みつかれ、そのまま水中に引きずりこまれたと言われている。
 

ジャンピング・クロックが行われている場所は河を挟んだ目と鼻の先で、事故現場からは河を横切る橋と国道が見える。ワニに襲われる夫を目の当たりにした妻は車に飛び乗り橋を渡り、ジャンピング・クロックの従業員に助けを求めた。事情を察した従業員はすぐに警察に通報した。すでに夜になっていたが警察とレンジャーによる捜索が開始された。ほどなくして現場から300メートルほどの下流に人間の手と思われる物をくわえた4メートルを超える巨大なワニが発見され、その場で射殺された。そのそばには片足がなくなった被害者の遺体も見つかった。レンジャーが陸上に引き上げられたワニの死体を開腹すると、中から被害者のものと思われる人間の片足が発見された。
 
 

被害者を襲ったこのワニは白色化した頭を持つめずらしい個体で、ジャンピング・クロックの従業員や一部の地元民にはマイケル・ジャクソンというあだ名で知られていた。遺伝的に色素の薄い白色化個体やアルビノは、その目立ちやすさゆえに天敵に襲われやすく野生ではたいへんにめずらしい。特にこのマイケル・ジャクソンは全長4.5メートルというその巨体からしてもそれなりの老齢と思われる。これだけの大きさであれば成人男性の太ももを骨ごと噛み切るというのもわけのないことなのであろう。驚くべきことにこのワニには両前足が無く、後ろ足も片方は膝から先は欠損していて、唯一残ったもう片方の足にも指が一本だけしか残っていなかった。これらはすべてケンカや共食いなどで他のワニに食いちぎられたと思われる。まさに満身創痍のこの体が白色個体が野生で生きていくことの難しさと過酷さを物語っている。一説では片足しか持たないこの老体のワニが生きていけたのはジャンピング・クロックによる餌付けのおかげとも言われている。写真は後日の研究のため採取保存されたマイケル・ジャクソンの大腿骨。
 

この事故は我々がこの河で野外調査をおこなった一週間後に起きた。この河を毎年調査している自分たちにとってはなんとも複雑な思いである。また、これは人口のほとんどが集中するダーウィンの近郊の河で起きてしまった不幸な死亡事故であった。翌2015年、ダーウィンでこの事故の検死尋問が行われ、事故の詳細は一般公開された検死報告書で知ることができる。

 


事故の現場ルポ・人食いワニの正体1

イースト・アリゲーター・リバー (死亡事故1987年)

イースト・アリゲーター・リバーは世界遺産になっているカカドゥ国立公園と先住民の土地であるアーネム・ランドの境を流れる大きな川である。カカドゥにはいくつか大きな川が流れているが、イリエワニはこのイースト・アリゲーター・リバーに一番多く生息している。
 
河口から85キロほどさかのぼったところにケーヒルズ・クロッシングという渡し場がある。橋ですらないこの渡し場は、車一台分くらいの道幅で水面より少し低いくらいまでコンクリートが盛ってありカカドゥとアーネム・ランドをつないでいる。写真は手前がカカドゥ国立公園で奥がアーネム・ランド。

 

当然ここにはたくさんのイリエワニがいるので遊泳禁止となっているが、釣り人やワニを見に来る人が多く訪れる。渡し場の入り口にはワニ注意の大きな看板が行政により掲げられている。

 
 アーネム・ランドは基本的に非先住民以外は立ち入り禁止であるが、アーネム・ランドの住民たちはカカドゥや州都ダーウィンに行くときは車でこの河を渡る。もちろん四輪駆動の大型車でないと川の真ん中で立ち往生してしまうので普通車は通れない。

海から百キロ近くも離れているにもかかわらず、この河は潮の満ち引きが強い。満潮ともなると渡し場は完全に水没してしまう。一年のうちある時期には潮の流れに乗って上流に流れてくる魚を狙って多数のワニが集まってくる。どれも34メートル以上の大きな個体で、まさにワニがウヨウヨという圧巻の光景となる。
 
魚を飲み込むイリエワニ。手前のワニの首にある茶色いコブのようなものは研究用に付けられた衛星発信機(GPS)。その横にある黄色い棒状の物は心無い下手な釣り人によりひっかけられてしまったルアー。ワニの上部は皮膚が非常に分厚いのでルアーの針によるケガはないと思われる。

同じく魚を飲み込む4メートル半はある巨大ワニ。ワニが食べている魚はマレットと呼ばれる、北オーストラリアのマングローブや川で多く見られる草食性の魚。小骨が多くヒトが食べてもあまりおいしくないと言われる。 
 

ワニを見学する人たち。渡し場に集まるワニを安全に見学できるようそばに展望台が作られている。近年は野生のワニが見られる場所として観光客に知られており、国内外から多くの人が訪れる。


ケーヒルズ・クロッシングから船で5キロほどさかのぼった上流域。先住民の土地であるアーネム・ランドには奇岩、岩山がそびえたち、手つかずの自然が残る。カカドゥから渡し場を渡ると道路も舗装されていない太古の時代から変わらぬ風景が広がる。
 
この渡し場で起きた死亡事故は1987年の一件のみである。カカドゥ内に住むある男性がここでよく釣りをしており、ある日家族や友人の制止を振り切りこの川に飛び込んで、向こう岸を目指して泳ぎだしたという。そのとき被害者は酔っていたとも言われる。泳ぎだして間もなく、そばにいた5メートル近いイリエワニに襲われた。警察や行政に残る記録では頭を噛まれて即死とあるが、当時を知るレンジャーの話では頭をワニに噛み切られたらしい。すぐに警察とレンジャーが呼ばれ、被害者を襲ったと思われるワニへライフル銃で一撃を与えたが、弾は急所を外れ川の中へ逃げられてしまう。レンジャーが二人がかりで遺体を川岸から引き揚げようとしたところ、噛み切られた首の傷はまるで刃物で切られたようにすっぱりと切れていて、傷口から喉の奥が見えたという。そのうちの一人はまだ新人の女性レンジャーで、あまりの惨状に失神しかけたという。その後、警察の捜査や検死官による検証などがおこなわれたが、被害者を襲ったそのワニはついに見つかることはなかった。おそらくその胃袋に被害者の頭部をおさめたまま生き延びたと思われる。この事故は家族を含め、何人かの目の前で起きた惨劇であった。事故後、遺族はカカドゥを離れ別の土地へ移住したという。写真は事故が起きた渡し場の下流側。現在この場所を訪れる多くの人たちにこの事故のことはあまり知られていない。

2015年11月3日火曜日

ブログ始めました。

ツイッター(https://twitter.com/GingaCrocodylus)で書ききれない文章や写真をこちらに載せることにしました。半分は自分用の忘備録です。

書くことはワニの研究や野生動物保護のことがメインですが、ツイッターほど頻繁に更新はしないと思います。

ご意見、質問などありましたらここのコメント欄かメール(wildcroc4@gmail.com)までどうぞ。

福田雄介